「――――あかね?!」
受話器の向こうから友人の声が聞こえた。
こんな朝早くにどうしたのだろうと思う。
「それどころじゃないってば!」
「……なにが??」
寝ぼけ眼のまま尋ねるあかね。
その直後、固まった。
「あんたの彼氏が女の人とデートしてるの見ちゃったのよ!!」
「…………冗談だよね」
「この私が冗談なんて言うと思うの? 本気よ!!」
こんなやりとりの後、あかねは今から行くから、と電話を切り、慌てて服を着込むと外に飛び出していった。

 





君に恋焦がれ

−前編−

 





電話がかかってきたのが午前九時直前。
京都から神戸までは約三時間弱ほどかかる。
神戸・阪急三宮駅構内。
もう一度友人に、今度は携帯からかけてみる。
「あかね?」
出た。
受話器の向こう側から、友人の声がした。
「今何処にいるの?」
あかねが問い掛ける。
「え? 東急ハンズ?」
それってどこにあるの?
うん……うん。わかった。今から行くね。
携帯から視線を上げ、辺りを見回す。
だがそれらしき建造物は見当たらない。
これは駅員に聞いたほうが早いかもしれない。
改札口に急ぐ。
優しい駅員がハンズの場所を丁寧に教えてくれた。
急いで目的地へと向かう。
東急ハンズが目の前に見えてきた。
その時、再び携帯の着信音が鳴る。
慌ててそれを耳に当てる。
「今、地下二階のAフロアだよ」
一体友雅は何をしているのだろう。
妙な焦燥感に駆られ、あかねは急ぐ。
エレベーターを待つのも煩わしく、階段を駆け下りる。
と、ようやく友人の姿を発見した。
「友雅さんは??」
挨拶抜きに声を掛ける。
友人の由香里は、無言のまま奥を指差す。
その先には…………いた。
友雅が何かを手にとって悩んでいる。
その隣には肩より少し長めの髪をポニーテール風にくくっている女性の姿があった。
ズキン……。
あかねは胸が痛むのを感じる。
自分より年上だとわかる女性は、身振り手振りで友雅に何かを教えているようだ。
それに友雅は頷き、時々苦笑を漏らしている。
自分と一緒にいる時と同じように。
再び胸が痛む。
「あの二人ね、朝から高級なもの食べたりしてたのよ」
多分、神戸の基本的なデートコースね。
続ける由香里の話は今のあかねの耳を左から右に抜けていく。
何もかもが真っ白になった。
「やっぱり私よりも年上の女の人の方がお似合いだよね」
ポツリと呟く。
「由香里ちゃん、ごめんね。わざわざ電話してくれたのに」
「でも参ったよね……。まさかあんないい女(ひと)がいるなんて」
またもやズキン、と胸を抉られるような衝撃が走った。
「ここにこんな可愛い恋人がいるっていうのに」
「でも……あの女の人の方が私よりも綺麗だよ」
消え入るようなか細い声で俯きながら答える。
涙が頬を伝う。
由香里がそれを見て、拳をぎゅっと握り締めた。
「二股かけるなんて許せない。こうなれば――――」
「だからいいってば」
拳を押さえ込むように手を伸ばすあかね。
由香里は、そんなあかねの姿に、深い溜息を吐いた。
「あのね〜、あかねちゃん。もう少し怒らなきゃ、男はつけあがるんだよ」
「でも……友雅さんはそんな人じゃ―――」
「甘いよ、甘い。男はそういう生き物なんだから」
一方的にそう決め付ける。
そんな由香里に、あかねは苦笑を漏らした。
「あ……何か買ったみたいだよ」
視線が友雅の方に移った。
レジで会計を済ませ、二人はエレベーターの方に向かう。
「行く?」
尋ねる由香里に、あかねは静かに首を横に振る。
「じゃあ、逐一報告するね」
「お願い」
やはり友雅のことが心配なのだろう。
全てを由香里に任せ、あかねは雑踏に消えた。

 





市営地下鉄山手線に乗り込み十分。
二人が降りたところは長田駅(別称・長田神社前)。
地上に上がり、神社方面(北)へと歩くこと五分。
目の前にこじんまりとした家が現われた。
その中に入っていく。
どうやら女性の家らしいのだが。
あかねのメールには一言
〈アトリエ・流星〉
とだけあった。








「あかね〜」
一階で母が呼ぶ声がする。
ベッドの上でごろごろしていたあかねは、それを無視した。
今は返事をする気力などないのだ。
もう一度声がする。
返事はしない。
すると、階段を上がってくる足音が聞こえた。
母だろうか。
いや、それよりも父に近いようなしっかりとした足音だ。
間を置かず、ドアがノックされる。
「入るよ」
それは友雅の声だった。
慌てて起き上がるのと、ドアが開かれるのが同時で……
「姫君におかれましてはご機嫌麗しく……」
にっこりと微笑んで、入ってくる。
あかねは睨みつけるように無言のままでいた。
「あかね。どうかしたのかな?」
まさか自分の今日の行動が見られていたということを知らない当の本人は余裕のある口調でそう問い掛けた。
「気分を害されたのかな? すまないね。今日は用事が入っていてね」
「女の人とのデートで忙しかったんですね」
「女性と? 私がデート? 一体何の話かな?」
あくまでしらを切るつもりらしい。
いや、もしかしたら全く感じていないのかもしれない。
手元にあった枕を投げつける。
「今日っ、友雅さんが女の人とデートしているのを見たんです!! 嘘をつくなんてひどいっっっ」
その言葉に、友雅は気がつく。
やれやれと溜息をつき、今一歩、あかねに歩み寄った。
「それは誤解というべきものだよ、あかね。私があかね以外の女性と付き合うと思ったのかい」
「私なんかよりもあの女の人のほうがお似合いです! 私のことなんて放っておいてください!!」
まさに問答無用とはこのことをいうのだろう。
次々に手近にあったものを投げつける。
投げつけられた者はたまったものではない。
ぬいぐるみや書籍、果てには置時計なども投げつけられるのだ。
前の二つは当たっても何とも思わないのだが、置時計は痛い。
しかも打ち所が悪ければ、病院送りとなる。
ここは一度退散せざるを得なかった。
「あかね……」
「出て行ってください!!!!!!」
ぐわり…とあかねが椅子を持ち上げた。
もしかしてそれも投げるのか????!
慌てて友雅は部屋から逃げ出す。
通常ではありえない光景であった。
ドアがバタンッッッと閉じられ、友雅は溜息をついた。
そこへ、あかねの母が申し訳なさそうに階段を上がってくる。
「本当すみませんねえ」
「いえいえ……」
と言いながら、ズボンのポケットから封筒を取り出すと、それを渡す。
「明日の午後五時半に待っている、とお伝えいただけますか」
「伝えますわ」
にっこりと微笑んでみせた。
友雅が帰った後、あかねが夕食を取るために二階から降りてきた。
着席するのを見計らって、母が手紙を差し出す。
「橘さんからあかねにって預かったものよ」
「…………」
今更何なのだろう。
少し不機嫌な表情になるのを、母は見逃さない。
「明日の午後五時に来て欲しいっておっしゃっていたわ」
封筒の中には招待券と手紙が入っていた。
招待券は神戸ルミナリエの点灯権であった。
「なんでも神戸のご友人から戴いたそうよ」
神戸の友人。
それはもしかして、昼間友雅と一緒にいた女性のことではないだろうか。
「お父さんに言っておいてあげるから、行きなさい」
折角のクリスマスなんだから…と母はきっぱりと言ってくれる。
気は乗らない。
昼間あんなものを見せられたから。
だが、友雅が待っているのだから、気が乗らなくても行かなくてはならない。
渋々ながら頷くあかねに、母は娘の頭をよしよしと撫でた。

 

2002年12月24日 製作

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