第一話

〜11月22日  前日〜

秋の京都は多くの観光客であふれ返る。

そう、イベントが満載の、まさにお祭り騒ぎのようなにぎやかさだ。
ただ昼間は観光客が多いので、その土地に住んでいる者達はあまり出歩かないようだが。

 





「勤労感謝の日……かあ」
あかねが手に、今入れたばかりのティーカップに息を吹きかけながら、カレンダーの前で立ち止まった。
「そういえば明日なんだよね……」
「何か言ったかね」
と、台所の方からひょっこりと顔を出したのはこの一室の主。
手には包丁と人参が握られている。
「とっ、友雅さんっっ、何してんですかっっ」
意外なものを見てしまったような、素っ頓狂な声を出し、あかねが台所へと飛び込む。
そこにあったのは、皮を剥きかけの人参とジャガイモ、そして肉。
傍らにはルーがあった。
友雅が何を作ろうとしているのか、それだけで判断がつく。
「お仕事で疲れているんでしょう?! 私が作りますからゆっくりしてください!」
その手から包丁と人参を奪い取ろうとしたが、その前に友雅は両手を高く上げる。
それだけで背の低いあかねは、その行動自体が無駄になってしまうのだ。
いわゆる”背が低い”から。
「今夜は私があかねの為に腕を振るうよ。明日は久々に休みを貰ったから」
にっこりと微笑み、鼻歌まじりに再び調理へと戻る。
それをあかねは目を丸くしたまま見つめていた。
「友雅さん……」
「ん? なんだね」
「いつの間に料理、できるようになったんですか??」
それはもっともな疑問であった。
友雅がこの世界で暮らすようになってからほぼ毎日、あかねが作りに来ている。
そう。
当の本人は包丁を持てなかった筈だ。
「私だってこの世界で生きていく為に日々精進しているつもりなのだがねえ」
と、人参を切る手を止めて、こちらを向く。
「少し前に叔父さんに教えていただいたのだよ」
「幸秀叔父さんに?」
まさかあの叔父がここまで手を尽くしてくれるとは思いもよらなかった。
というか、自分の知らないところで二人は何を話しているのだろうか。
幸秀と友雅の二人が並んで仲良くエプロンをつけて調理している場面を想像して、あかねは吹き出しそうになった。
「何を笑っているのだね?」
あかねの頭の中まで把握しきれない友雅が首を傾げる。
「ううん、なんでもないんです。ただ、友雅さんが作るのって初めて見るなあって思って」
「今度から休みの日には私が特製料理をご馳走して上げよう」
愛しい姫君のためにね、と付け加えた。

 





ここは京都市上京区にある低層マンションの一室。
友雅はこの部屋で暮らしている。
過去の世界から現代に。
文明がまるっきり逆転の現代に翻弄されるかと思いきや、存外適応能力に長けているのか、すぐに馴染んだ。
いや、友雅自身の努力といってもいいだろう。
あかねと共にいる以上、こちらの世界で必要な知識は得なければならない。
基礎的な知識はこちらの世界に来る時に、龍神から受けた。
だが専門的な知識は受けてはいない。
この世界で生きていくに必要なだけな知識だけ。
今、友雅はとある職業に就いている。
それはフリーカメラマンであった。
勿論、その職は龍神からのささやかな贈り物であった。
いや。
友雅が望んだことだ。
「慣れ親しんだ土地や人々の記憶を書き綴りたい」
という、その願いを、フリーカメラマンという形でくれたのだ。
連日、友雅は市内を駆け回っている。
秋の京都はイベントが目白押しで、カメラマン達にとっては絶好のシャッターチャンス到来の季節なのだ。
四季折々の京都の町を、友雅は撮りつづけている。
それが出版社や新聞社の目に止まったのか、取材依頼や撮影依頼の電話が連日、ひっきりなしに入ってくるようになった。
今日も数件、依頼が舞い込んできている。
十二月八日に虚空蔵法輪寺で執り行われる針供養の撮影依頼と、十二月十四日に法住寺で執り行われる義士会法要の撮影依頼だ。
こうなれば、もうあかねとの逢瀬を楽しむいとまなど無くなるのは必然的であった。
だが友雅は、必ず休日を設けてはあかねとともに色々な場所に出かけている。
実は明日の勤労感謝の日も依頼は多数あった。
それを全てキャンセルしたのだ。
キャンセルしたことはあかねには言わない。
言ってしまえば、あかねは絶対に怒る。
会えなくて悲しむあかねを見たくはなかった。
いや、正しく言えば、あかねに会えないのが悲しい、であろう。
十一月二十三日の勤労感謝の日に限って行事が多いのは、その休みにあわせてなのであろう。
同業者たちはその日にはさまざまな行事の撮影のために色々な土地を飛び回っていることだろう。
「明日は何処に行きたい?」
調理を終え、深皿に入れたビーフシチューをあかねの前に置く。
食欲をそそるいい香りがした。
思わず生唾を飲み込む。
「フフフ……。先にお食べ」
ニコリと微笑み、そう促す。
だが、あかねは目の前に置かれたスプーンを取ろうとはしない。
友雅は、自分の皿をテーブルに置いてあかねの目の前の椅子に着席した。
「あかね?」
何故、食べないのかと問うと、
「友雅さんと一緒に食べるのがいいんです」
真面目な顔つきでそう答えたのだ。
あかねはそれに関しては真面目であった。
決して人よりも先に食べたりはしない。
「それはすまないことをしたね。さ、食べようか」
友雅がスプーンを持つ。
それにあわせてあかねもスプーンを持った。
「いただきます」
友雅が初めて自分のために作ってくれた食事。
思わずあかねの口から溜息が零れた。
「?」
視線があかねに注がれる。
「いや………幸せだなあ…って思っただけです」
「幸せ? どんなことが?」
実は判っているくせに、直接本人の口から聞き出さなければ気がすまない性格の持ち主である友雅。
軽く微笑んだ友雅に、あかねは頬を染めながらこう言ったのだ。
「と……友雅さんの手料理を食べられるなんて…その………し…あわせ……だな…あって」
後の方は声が小さくて上手く聞き取れなかった。
が、大体のことは判った。
クスクスと苦笑を漏らす。
「あかねは可愛いねえ」
続いて手元に置いてあった手帳をぱらぱらとめくりながら、何かを探す。
と、めくる手が止まった。
その手帳は友雅が仕事用に愛用している品であった。
勿論、それはあかねからのプレゼントである。
「そうだねえ。たまには西のほうにも足を伸ばしてみるのもいいかもしれないね」
仁和寺……それに嵐山の方が今は見頃かな。
「仁和寺……永泉さんが住んで――――」
咄嗟に口を塞ぐが、間に合わなかった。
そう。
こちらに戻ってから、その話は全く口にはしなかった。
それは……友雅に辛い思いをさせないため。
何故。
自分が存在していた遠い過去の世界に思いを馳せる、辛い表情の友雅。
それを知っているから。
だから、今まで口にはしなかった。
「……………………」
俯くあかね。
それを認めて、友雅は軽く微笑んでみせた。
「私を心配してくれているのだね。だが、心配は要らないよ」
「でも」
顔を上げて何かを言いかけるあかねであったが、その笑顔に胸がぎゅうっと絞められる思いがする。
それを敏感に感じ取ったのか、友雅は話題を変えた。
「明日は休暇を取ったからね、ゆっくりと紅葉見物ができる」
「……………………そうですね」
どうやらまだ話題にはついて来れていないらしい。
パタン、と手帳を閉じた。
「あかね」
再び俯いてしまったあかねに、声をかける。
「昨日、取材に行った近くにきんつばの美味しそうな店があってね。あかねが見たら嬉しがりそうだなと思ったのだよ」
”美味しそうなきんつばの店”と聞いた途端、あかねの表情が一変した。
やはり花より団子な年頃のせいだろうか。
「明日、連れて行ってあげるよ」
だから、早くお食べ。
「はい♪」
元気よく頷いたあかねは、スプーンを持ち直すと食べ始める。

それだけで元気を取り戻すとは、まだ若いのだね……
目の前で自分の手料理を美味しそうに食べ始めるあかねを見ながらそう思う。
チラリ…と視線を窓に移す。
外は既に暗くなっていた。
暗い。
そう、それは自分の心の内に横たわる闇のよう。
けじめをつけなければならないのは判っている。
だが…………
<私の中で、まだ迷いがあるのだな>
一度目を閉じ、軽く溜息を吐く。
「どうだね、お味のほうは?」
いつの間にか一皿たいらげてしまったあかねに、問い掛ける。
「もうっっ、最っっっ高です!」
「それはよかった。おかわりもあるのだけれど?」
と手を差し出す。
こんなに美味しいビーフシチューは久しぶりだった。
幸秀叔父さん直伝の、美味しいシチュー。
それを見事に再現している。
皿を受け取った友雅が台所へ入る。
「あとケーキがあるのだけれど、食べるかね」
「ケーキですか? えっと…どこのですか??」
「木屋町三条のキルフェボン。あかねが前に言ってただろう」
店名を聞いて、あかねは”ああ、あそこか”と思い出した。
三条大橋手前の木屋町を上がり(北へ入る)、少し行った左手にある店であった。
週末には長蛇の列が目印になるほどの人気ぶりで、旬の素材を惜しげもなく使ったタルトが並ぶ様は壮観である。
女子高生を中心とした女性層から絶大な人気を誇っている。
平日の昼前なら比較的空いているので、友雅はそれを狙って行ったらしい。
「店の主人がおすすめだとね、買ってきたのがさつまいものタルトなのだよ」
他にも色々とあったのだけれど、季節的にはこれが一番だと思って買ってきたのだけれど。
とあかねの反応を待つ。
手渡された皿を受け取るあかね。
その目がキラキラと輝いている。
「あとで一緒に食べよう。先にこちらを食べなさい」
「は〜い♪」
まさに花より団子。
友雅はそんなあかねを見るのが楽しみであった。
笑顔。
それだけで全てを忘れられる。
そう。
あかねの笑顔で今まで救われてきたのだ。
過去の世界でも。
今も……
だが自分はこの世界で生まれ育ったわけではない。
故郷はもう一つある。
……………………今を遡ること千年前の、京の都。
全てを捨てて、今まで培ってきた全てを捨ててこの世界に来た。

 





あかねが帰った後のリビング。
友雅は明かりを消し、ソファーへと腰を下ろす。
こうしていると、過去の自分を思い出す。
過ぎ去った過去。
今の自分は一体なんであるのか。
先ほどのあかねの言葉で疑問が湧いてくる。
「今の自分は…………」
考えたくはない。
額に拳を当てた。
「すまない……あかね」
口から洩れたのはここにはいない者への謝罪の言葉。

 





暗い一室に、残るのは―――――――

 

2002年11月22日 製作

続く→ コメントも次で

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