第二話

〜 約 束 〜

友雅が久方ぶりの休暇をとった当日の朝早く、あかねは鳥のさえずりで目を覚ました。
まだ夜が明けきっていないのか、暗い。
褥の中で軽く背伸びをする。
と、隣でモゾッと動く気配がした。
ゆっくり頭を巡らせてみると、果たしてそこには友雅が………
まだ熟睡しているのか、瞼を下ろしたままそこで眠っていた。
(………そういえば)
昨夜のことを思い出す。
そう。
友雅はあかねが眠りに就くまで側にいてくれたのだ。
ということは?
(まさか……共寝??)
先に寝てしまったのでそれ以降のことはわからない。
だが、友雅がここにいるということはそうなのであろう。
目覚めて二度びっくり。
熟睡している友雅を起こさないようにそっと褥を抜けて、衣掛にかけてあった己の衣装を手早く身に纏った。
御帳台を抜け出し、御簾をくぐり外に出る。
今朝はやけに寒い。
京の都は地形的に熱しやすく冷めやすい盆地なため、冬に入ると底冷えのような寒さになる。
今までの生活が普通だと考える現代人にとっては、この都の冬は耐えがたいものであろう。
だが、それでも京の人間は生きているのだ。
昔の人の耐久力には恐れ入る。
「雨か雪……降ってたんだ」
あかねが庭を見渡しながらポツリと呟いた。
「そのままではこごえてしまうよ」
と、背後の御簾が揺れ、友雅が出てきた。
「おはようございます」
「おはよう、姫君」
にっこりと微笑み、あかねを背後から抱きしめる。
「ほら、こんなに冷えてしまって」
「外の空気が冷たいからですよ。そういう友雅さんだって、手が冷たいじゃないですか」
そっと繊細でいて大きな手に己の手を当てる。
あかねの手のほうが温かかった。
「その前に着替えてから出てきてくださいよね。そんな格好じゃ、風邪ひきますよ」
「仰せのままに」
軽く微笑むと、御簾内へと素直に戻ってゆく。
いつもの友雅にはあり得ない言動であった。
だからであろうか。
あかねは心の奥底でひやっとする。
まさか知られてはいないだろうか、と。
友雅にだけはまだ知られてはいけない。
今日まで言わなかったのは、友雅が自分と出かけてくれるのを拒んでしまうかもと思ったからだ。
(私を大事にしてくれるのはいいんだけど……ねえ)
と、高欄にもたれ軽く溜息を吐く。
その時、簀子縁を一人の女房がこちらに歩いてくる。
「おはようございます、あかね様」
それはあかねがこの屋敷に入ってから親交を深めている女房で、名を弥生。
弥生はいつもは友雅の日々の世話をしているのだが、あかねがこちらに来てからはあかねに付き添っている。
世話好きなのだろうか。
行事などで戸惑っているあかねに手取り足取り教えているのだ。
現代でいう家庭教師というものなのだろう。
「おはようございます、弥生さん」
弥生の呼びかけに気付き、そちらの方に視線を向ける。
「殿はまだお休みですか?」
「今、着替えてる」
何か思うところがあるのだろう。
弥生は、御簾越しに衣擦れの音がするのを確かめると、あかねにそっと耳打ちする。
「泰明さんが?」
「陰陽師なんだったら式神を飛ばしてあかね様に直接お知らせしてくれればそっちも楽なのにと思いません?」
どうやら泰明が屋敷に来ていたらしい。
言伝を持ってきたのが弥生ということは、彼女が取り次いだということなのだろう。
「きっと友雅さんがいるからですよ」
「殿ももう少しあかね様を大切になさっていただきたいものですわ」
「私があかねを雑に扱っているとでも言いたげだねえ、弥生」
友雅が御簾内から現われた。
「あかね様はモノ! ではありません!!」
どうやら友雅の言葉にカチンときたらしい。
一瞬遅れてあかねが吹き出す。
続いて友雅も笑い始めた。
「私はいつでもあかねのことを最優先として考えているからね。弥生は心配性なのだよ」
「でしたら毎夜毎夜、きちんとあかね様を寝させてさしあげてくださいませ!!」
仁王立ちのまま、息を荒く吐く。
だが、ここで友雅が引くとは考えにくい。
柱にもたれ、弥生をにこやかな表情で見つめている。
それが弥生の感情を逆撫でする。
「あかね様が体調を崩されたのはそもそも殿の責任なのですよ!!!!」
思わず口をついて出てしまった。
慌ててあかねが弥生の口を塞ぐが、後の祭り。
ちらり、とあかねは友雅の方を見る。
視線の先の友雅は、顎に手をやって考え込んでいる。
「………弥生さん。後は私に任せてください」
だから…と優しく言うと、弥生はうなだれたまま頷き、その場を退出した。
残されたのは深い沈黙の中に身を置く友雅と、あかねの二人。
「友雅さん。弥生さんの言うことは気にしないでくださいね」
「私は……今まであかねにひどいことをしてきたのだろうか」
ポツリと呟くように、口を開いた。
「そんなことはありませんって。友雅さんが大事にしてくれているお陰で今の私がいるんじゃないですか」
だから…と、腰を上げ、考え込んでいる友雅の側に寄る。
友雅が顔を上げた。
「そんな顔、しないでください」
と頬を朱に染めながら背伸びをし、そっと口付けする。
「……………………」
不意打ちを食らった顔が、一瞬にして真っ赤になる。
このときばかりはあかねも思わざるを得なかった。
友雅さんってば可愛い〜〜、と。

 



朝餉をとってから伏見へと向かった。
勿論、徒歩では時間がかかりすぎるので牛車を利用して、だが。
太陽が東の空、ちょうど45度くらいにさしかかった時刻(大体巳の刻過ぎ)に伏見社前に到着した。
ここからは徒歩で奥の院に向かう。

〔伏見稲荷大社〕
全国で約三万社を超えるお稲荷さんの総本宮。商売繁盛、五穀豊穣の神として有名。
大鳥居をくぐり、進むと1589年(天正17)に豊臣秀吉が寄進したと伝える朱塗りの楼門がある。
本殿は1499年(明応8)建造の檜皮葺き。本殿裏の奥にある鳥居のトンネルをくぐれば奥の院(妙婦谷)。
稲荷山への登り口である。高さ233mの山には、いたるところに塚があり、
それを巡拝する「お山巡り」は約4km、二時間ほどかかる。

というわけだそうで、あかねがいる時代ではまだ本殿や朱塗りの楼門はなく、
ただつらつらと鳥居が山頂にまで続いているのだ。
先に友雅が牛車から降り、それに続いてあかねが降りる。
すがすがしい朝の空気を胸いっぱい吸い込む。
大きく伸びをするあかねに、随身たちと会話を交わしていた友雅が振り返った。
「ゆっくりと歩いていこうか」
「そうですね」
こういう天気のよい日には、走り回りたいと思うのは現代っ子のさが。
だが、今身に付けているのは動きにくい衣装。
それを敢えて着ているのは、早くこの世界に馴染もうという努力の表れなのである。
そんなあかねの心の内を、友雅は知っているのだろうか。
スッと手が差し伸ばされる。
「姫君。さ、参りましょう」

 





気持ちのよい空気と木漏れ日の温かさ。
あかねはここに来てよかったなあと思った。
隣には、自分を気遣いながら手を引いてくれる友雅の姿。
身体は依然、重いが、それでも友雅が側にいてくれるだけで軽くなる。
「弥生が怒るのも無理はない……か」
ポツリと呟くように友雅の口から言葉が零れ出た。
「? どうしたんですか? 急に……」
「いや」
かぶりを振り、なんでもないとだけ言うと、口を閉ざした。
しばらく無言のまま二人は進む。
太陽が真上を過ぎた辺りになり、二人は麓まであと少しというところまで来ていた。
突然、あかねが立ち止まる。
「どうしたのだね」
振り返る友雅の視線の先で、あかねが口を開いた。
「言おう言おうと思っていたことがあるんです」
そして一旦口を閉じる。
「……………………」
辺りには誰もいない。
あかねは息を吸い込んで、一度軽く吐くと、こう言った。
「赤ちゃんできちゃいました」
激白、唐突。
まさに不意打ちである。
言われた友雅は、しばしの間対応できなかった。
二人の間に広がる、沈黙の時間。
その沈黙を破ったのは友雅であった。
友雅は、驚きを表情に出しながらも、冷静に、確かめるようにこう尋ねる。
「………本当に子供が?」
視線の先で、あかねが頷く。
「もしかして怒ってます?」
視線を上げようとしないあかね。
声が段々と小さくなっていく。
フウ…と軽く溜息をつき、俯くあかねの頭をそっと撫でた。
「誰も怒ったりはしないよ。むしろ嬉しいくらいだ」
「え?」
顔がツイ…と上げられた。
二人の視線が空中で合わさった。
「来年は三人でここの紅葉を見に来よう」
「そうですね」
抱きしめられ、その腕の隙間から山の紅葉を見るあかね。
その瞳には艶やかな色とりどりの紅葉が映っていた。
来年はこの紅葉を友雅と、そして新しく産まれてくる子供とともに見れるのだ。
それを想像して、くすぐったい気持ちになるあかねであった。
「屋敷に戻ったら早々に祝いの宴を開くことにしようか」
同じように艶やかな紅葉を見つめている友雅が口を開く。
「勿論、二人でささやかに………ね」

 





だが、二人が帰る以前に、既にその情報がどこかから洩れていた。
漏らしたのは泰明。
それは瞬く間に藤姫や八葉の間を駆け抜ける。
二人がささやかな宴を開けたどうかは………ご想像にお任せすることにしよう

 





 

2002年11月23日 製作

2002©水野十子/白泉社/KOEI/ 沖継誠馬






コメント 

 牛車の揺れで母体に影響無いと良いけれど…。
その辺の心配どうこうよりも、赤ちゃんの出来た事に大喜びで、大切な心配どころが抜けている友雅さんが、可愛らしいですvvv

 二人のささやかな宴なんて…残念ながら考えられませんね∬ ̄∇)ふふ…
 そんな所もまた楽し♪



  







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