第一話 いや、無謀。 現代っ子のあかねが戸惑うのも無理はない。 めまぐるしく過ぎる毎日に、ただただ呆然とする。 あかねは最近、身体の調子がすぐれない。 季節が晩秋に移り変わり、気候の変動が著しい変化を遂げているのもその要因の一つである。 身体がだるく、微熱だろうか。時々くらくらとする。 だが、それは誰にも言わなかった。 休めば楽になるだろうと、軽い気持ちでいたのだ。 「あかね」 それはいつもより早い帰宅であった。 簀子縁をこちらに向かってくる足音が部屋の前……御簾の外で止まり、艶やかな声が聞こえた。 あかねは慌てて褥から起き上がり、少し乱れた着衣を直して御帳台から出ようと―――― 「そのまま」 といつの間に入ってきたのだろうか、長身の男が几帳の影からスッと姿を現し、あかねを優しく抱きしめた。 長身の男性の名は橘友雅。 あかねの、この世でたった一人の大切な人である。 友雅は、抱きしめたあかねをそっと褥の上に横たわらせ、衾をかける。 「昨日は一睡もしていなかったのだろう? 今日はゆっくりと休みなさい」 「でも……」 言いかけるその口に、人差し指を軽く当て、にっこりと微笑んでみせた。 「あかねにもしものことがあれば、私はどうすればいいのだね」 だから大人しくしていなさい、ということだ。 こういう優しさを一心に受けているので、ご満悦そうに軽く微笑んで、衾をかぶる。 「明日はあかねの世界では”きんろうかんしゃのひ”だそうだねえ」 「休暇……とれました?」 ちらりと衾の隙間から視線を上げて、友雅の顔を窺う。 その視線の先にはにこやかな表情を浮かべた顔。 「あかねの頼みは今まで全て聞いてきただろう。例外なく」 「じゃあいいんですねっ」 がばっと起き上がろうとしたあかねを再び友雅が制する。 「ああ。だから、今日は大人しく休んでいなさい。それでなくともあかねは季節の変わり目には弱いのだから」 その時、女房の、夕餉はいかがするかの声が御簾の外から聞こえてきた。 「こちらに運んでおくれ。あかねとともにとるから」 「かしこまりました」 再び衣擦れの音が響き、女房がそれを伝えるために去っていった。 気配が消えたのを確認して、友雅は懐に手を入れてごそごそと何かを探る。 「帰り際に鷹通がやって来てね」 と取り出したのは一通の書状であった。 「これをあかねに、と預かってきたよ」 差し出された書状を、衾の隙間から受け取ると、その中で包みを開く紙ズレの音が響く。 まさかこれを読まなかっただろうか、と少し心配になりながらも、あかねは読み始める。 「それには何と書かれているのだね」 「内緒です。ご想像にお任せします♪」 意味深な……しかも友雅の十八番の台詞を口にする。 それには少々驚きの表情をみせる友雅。 だが一瞬のことで、衾を頭からかぶっていたあかねには見えなかった。 「で、明日はどうするのだね」 「明日は伏見稲荷に行きたいです」 読み終えたらしい。 衾の中から顔を覗かせたあかねが口を開いた。 「あそこの紅葉、見たかったんです」 「まだ見頃だからねえ」 と去年のことを思い出しながら答える。 「鷹通さんからの手紙によれば、もう綺麗に紅葉しているそうですよ」 「ああ、その書状の内容はそれか。心配して損したよ」 「心配して損した?」 最後の言葉が気にかかった。 ゴホン、と咳払いでそれからそらせ、友雅は続きを促す。 「昔から伏見稲荷の紅葉が見たかったんです」 「あかねの世界の伏見稲荷の紅葉は美しかったのだね」 想像を働かせ、未だ見ぬ世界を思い浮かべた。 「紅葉の名所の一つです」 「では明日はそちらに足を伸ばしてみるか」 「やった♪」 小躍りするのを止め、人差し指をあかねの目の前に差し出す。 「だが一つだけ、約束しておくれ」 「約束……ですか?」 いつもながらこの約束はとんでもないことが多い。 だから思わず生唾を飲み込む。 「そう。明日の朝の体調がよければ行く。悪ければ行かない、とね」 今回の約束はまともだった。 ホウ…と軽く溜息をつき、大きく頷いて見せた。 「大丈夫ですよ。今日はゆっくりと休ませて貰ったので、明日は一緒に紅葉狩りに行きましょうね」 それからたわいない会話で時を過ごしている途中に、膳が運ばれてきた。 2002年11月22日 製作 続く→ コメントも次で |
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