読書が大好きな人間の自室の本棚にはぎっしりと書籍が置かれている。
無論、友雅も例外ではない。
それに加えて彼は色々なことを頭の中に蓄えている。
知識人。
その言葉に相応しい男だ。
だが完璧な人間はこの世には存在しない。

 

 




港町・神戸
〜 夜 景 〜

 

 




あかねは友雅を誘って神戸へと来ていた。
神戸の町は異国情緒溢れる町であり、全国各地から観光客がくる。
京都ほどではないが。
その地域は海が見えない。
海の代わりに琵琶湖という淡水湖が京都のお隣、滋賀県にある。
あかねは昨年、連れて行ってもらったことがきっかけとなり、
暇を見つけては友雅にせがんで神戸へと足を運んでいた。
神戸には友雅の友人とも言うべき人物がいるから。
その人物はあかねの興味心を沸き起こすのだ。
面白い人物だと初めて出会ったときから思っていた。
だが友雅は神戸に行くことに不満をもっていた。
勿論、その人物があかねの興味を引くからだ。

 


「あ」
神戸・三宮センター街にあるジュンク堂書店三階で、あかねは見知った顔を発見した。
途端、友雅は苦々しい表情をする。
「ん?」
見知った顔がそれに気付いて本から顔を上げた。
「おやまあ」
女性……ではなく、女性の面を持った男であった。
名を沖継誠馬。
長田の方にアトリエを構え、趣味が高じてフリーカメラマンとなった男。
「あかねちゃんに友雅じゃない」
「また歴史の書籍を買いにきたのかね」
誠馬の前に詰まれている書籍の山を見やって友雅が問い掛ける。
「あったり〜」
「相変わらずの歴史好きだねえ」
「歴史科出身者をなめるなよ」
いや、なめたりはしないって。
「今日はどうしたの? お二人揃って」
よいしょ、と十五冊はあろうかというほどの書籍を抱え、レジへと向かいながら尋ねる。
見るからに重そうだ。
あかねはそのうちの数冊を持とうと思って手を伸ばすが、友雅に止められた。
「どうして止めるんですか」
「君に重いものは持ってもらいたくはないよ」
「あかねちゃん。友雅の言うとおりだよ。心配ない、心配ない」
にっこりと笑って、そのままレジへと向かう。
精算し終えると、まだ二人はいた。
誠馬はちょっと考える仕草をし、二人に声を掛ける。
「うちに来る?」

 

 

 

 




誠馬の自宅は長田にあった。
アトリエ兼自宅。
「お邪魔しま〜す」
リビングへ入る。
薄い水色で統一された空間であった。
綺麗に片付けられており、誠馬が男性だということを一瞬、忘れそうになった。
「紅茶がいい? それともコーヒー?」
ああ、友雅はブラックだったよね、
と荷物をテーブルに置きながらパタパタと台所へ駆けてゆく。
「紅茶……あ。私も手伝います!!」
慌ててあかねが台所へ行こうとするのを、今度は顔を出した誠馬に止められた。
「お客さんはゆっくりしてて。なんだったら書斎に行っててもいいよ」
書斎。
やはり本好きなのだ。
友雅の家にも書斎はある。
が、誠馬のように書籍を買い込んだりはしていない分、綺麗なままだ。
ここの書斎はどうなっているのだろう。
興味の虫を刺激されたあかねは、二階へと上がっていった。
それを見送って、友雅は台所を覗きに行く。
台所には、先ほど長田の駅前で買ってきたばかりのケーキと湯の入ったポット、
ティーカップが置かれている。
「おや、友雅。てっきりあかねちゃんと書斎に行ったのかと思った」
「一言、お前に言っておきたくてね」
「あかねちゃんにちょっかいを出すな、だろう?」
それくらい判っているよ。
「それよりも、そろそろあかねちゃんを呼んできて」
「了解」
誠馬がそこまで知っているのならこれ以上は言うことはないと判断した友雅は、
リビングを抜け、二階へと上がっていった。
しばらくして紅茶とコーヒーのいい香りが台所から漂ってきた。

 

 

 


この家の書斎には何度か足を踏み入れたことがある。
扉を開け、中にいるであろうあかねに呼びかけた。
「あかね。そろそろ下に下りてきなさい」
「あ、はい」
書斎は十二畳くらいあった。
書棚が一体いくつあるのだろう。
既に図書館と化している部屋。
これを誠馬は全て読んでいるのだ。
感心するのを通り越して呆れる。
「友雅さん。半分以上が歴史の本ですよ」
書棚の陰から顔を出したあかねが口を開いた。
「だろうね。あれは高校の頃から歴史関連の書籍を買い集めていたらしいから」
「高校の頃からですか?」
「こづかいをはたいて毎月、一冊は買っていたそうだ」
「へえ……」
部屋の中には書棚の他に勉強用に使うらしい机が置かれており、
その上には辞書数冊と書籍、コピー物らしき紙が置かれていた。
今度は何を勉強しているのだろう、と友雅は机に近づいてコピー物を一枚、取り上げた。
論文。
「沖継さんが前に言ってた卒業論文の手直しかな?」
「ほう。卒業論文の、ねえ」
流し読みしてゆく。
そこへ、誠馬が入ってきた。
「何かおもしろいものがあった?」
と。
友雅の手にあるコピー物を見て、苦笑を漏らす。
「大学出てからかなり経ってて、久しぶりに広げてたんだ。
でも身体で覚えたものはやっぱりまだ健在なんだよね」
それは古文書の文字をさすらしい。
「沖継さん。この部屋には一体何冊くらい本があるんですか?」
「…………まあ、200冊以上はあるかな」
大半が幕末を筆頭とする江戸時代関連、
平安時代関連も最近は収集しているんだよ、と詳細に答えてみせる。
「だが半分くらいが漫画だろう」
「ははは、当たり」
困ったような顔をする。
「小説を書いているからね。いろいろと資料がいるんだよ」
まだまだひよっこだから頑張らなくちゃいけないんだけど。
「二人とも、早く下においで。折角入れた紅茶とコーヒーが冷めちゃうよ」
「あ」
ようやく気付き、取り出そうとしていた書籍を元の位置に戻す。
友雅もコピー物を机の上に戻し、部屋を出る。

 

 

 


流れる車窓の外の景色。
二人は誠馬に連れられて一路、西へと向かっている。
「帰りは神戸まで送っていってあげる」
勿論、二人きりのディナー付きでね。
これには友雅も頷かざるを得なかった。
神戸に来れば全てタダ。
全て誠馬持ちなのだ。
納得のいかない友雅だったが、それでもあかねが喜んでくれているので何も言えない。
着いた場所は神戸の西の端に位置する舞子という場所であった。
すぐ目の前には明石海峡大橋がある。
「ここの夕焼けを見に、大勢のカップルが来るんだよ」
辺りを見回しながらにこやかに笑ってみせる。
ごゆっくり。
言い置いて、カメラを片手に大橋の方へと歩いていってしまった。
「あれは仕事の鬼だからな」
どうやら明石海峡大橋の撮影依頼を受けたようだ。
推測をつけて、ようやく誠馬から解放されたあかねに声を掛ける。
「寒くないかい」
海の向こうの淡路島を見ていたあかねが振り返った。
そしてコクンと頷く。
「沖継さんって神戸が本当に好きなんですね」
前回も色々と案内してくれましたし。
「あれは生まれも育ちも神戸だからねえ。愛着があるのだろう」
「………友雅さんはどうですか?」
その言葉がさすのはそれまでの自分。
一千年も昔の京の都に存在した自分。
「ごめんなさい。思い出したくなかったですよね」
手摺にもたれながら海を見つめる友雅に、声を小さくして謝った。
それに気付き、ゆっくりと首を横に振ってみせる。
「あの頃のことは、今の私にとっていい思い出になっているよ。だからあかねが心配することはない」
夕陽が海を赤く染め始めた。
京都では見られない、港町神戸ならではの夕陽だ。
二人は寄り添い、太陽を見つめる。
その後ろ姿は一枚の絵。
何気ない後ろ姿とてもいい。
二人の後ろ姿をカメラに収めながら誠馬は溜息をつきたくなった。
お似合いのカップルだな、と。
誰もが羨むくらいのカップル。
「もうしばらく二人きりにしておきますか」
赤い太陽が二人の姿をシルエットとして映し出す。
一番いいアングルだった。
無心にシャッターを切る。

 

 

 


「友雅、これ」
ハーバーランド地区のエコールマリン前で車を止め、
鞄の中から一枚の紙を取り出して手渡した。

 

 

<casual dining QUATTRO(カジュアルダイニング クアトロ)>

 

 

既に予約を取っていたらしい。
ニコニコと笑顔の誠馬は、再び口を開く。
「その店のシェフは知り合いだから」
「やけに知り合いが多いな」
「フフフ♪」
二人が車から降りる。
「あかねちゃん」
車の窓が開き、声が掛けられた。
「今度はもう少し西の方まで連れてってあげる」
「はい。ありがとうございます」
「私のあかねをとらないでいただきたいのだがね」
ぐいっとあかねの身体を引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
妬いてるのか、とクスクス苦笑を漏らした。
「十七階だからね。くれぐれも間違えないように」
「私はお前のようにボケてはいないから」
売り言葉に買い言葉である。
誠馬は二人の後ろ姿を見送り、アクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 



エコールマリンは、
神戸新聞社が入っている神戸情報文化ビルと一体になった複合ビルである。
地下一階から地上階と地上十七・十八階の各フロアに、
雑貨店や飲食店を主体として約二十店舗が揃っている。
そして誠馬は友雅たちに紹介した店はその十七階にあった。

 


<casual dining QUATTRO>
ここではイタリアンとフレンチをベースにしたカリフォルニアスタイルの料理が味わえる。
そして窓際のテーブル席からは、モザイクやメリケンパークの煌く光が広がり、
ベイエリアの夜景を独占できることで大勢のカップルたちに注目されている。

 


今日は比較的予約が入っていなかった為、
すんなりとベイエリアを一望できる窓際席を予約することができた。
勿論、この窓際席は予約がお勧めである。
「夜景が綺麗ですね」
「そうだね」
メニューは予約をした際に誠馬が注文していたらしく、
二人はベイエリアの夜景を眺めながら料理が運ばれてくるのを待つのみだった。
「……ところで友雅さん。バレンタインデーの贈り物、喜んでもらえましたか?」
友雅に向き直り、真剣な表情で問い掛けてくるあかね。
ああ、とポケットを探り、手におさまるくらいのものを取り出して見せる。
「使い勝手がいいのでずっと持ち歩いているよ」
それは革で作られた財布。
しかもオーダーメイドという手の込みよう。
あかねは二ヶ月以上も前からこのバレンタインデーに向けて
何か自分に贈れるものはないかと探していたのだ。
それで見つけたのは大阪の馬場万という革製品の専門店だった。

 

 

<馬場万>地下鉄心斎橋・長堀橋
創業百年を超える革製品の専門店。
同店が扱う化学処理を施さないタンニンなめし革は、
年月を重ねるごとに手に馴染み、実に味わい深くなる。
同業者からも定評のある全て手縫いの重厚な一品が好評で、
老若男女問わず人気。

 

 

「喜んでもらって嬉しいです」
「来月はホワイトデーだね。あかねは何がいい?」
唐突にそう切り出され、あかねはすぐに返事をすることができなかった。
ホワイトデーの贈り物は何がいい? と聞かれたのは初めてだった。
答えられずに俯く。
対する友雅はあかねの返答を待っているのか、笑顔のままだ。
「冗談だよ。唐突に聞いて悪かったね」
吹き出しそうになるのを堪える。
「もうあかねへのプレゼントは買ってあるのだよ」
「え?」
「それが何なのかは、来月のホワイトデーまで内緒」
いいね。
「はい♪」
そこへ料理が運ばれてきた。

 

 

 


「夜はまだ長いよ。あかね」

 


その呟きは果たしてあかねの耳に届いたであろうか―――――

 

 

 

2003年2月18日  製作

2003©水野十子/白泉社/KOEI/ 沖継誠馬






コメント  サイトアンケートに答えて、お礼の品として頂戴しました。

 友雅さんの不埒な呟き・・・・・・・・・・いや、届いてないでしょう、絶対。(私見)
 耳に届いていたら、場所を考える余裕も無いまま、あかねちゃんなら叫びそうな気がするから(^m^)

 それにしても書斎・・・・・・・・とても羨ましい響き・・・好いなぁ〜。



  







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