君に願うことは、ただひとつ… 鵲 夜空に、一際輝く星がある。 牽牛と織女。 天の川に引き裂かれた恋人達。 年に一度の逢瀬を頼りに過ごす日々を二人はどう思っているのか… そこまで考えて友雅はふと先程まで己の手にあったぬくもりを思い返した。 絡められた小指。 頬を染めて嬉しそうに笑う少女。 二人で交わした、小さな約束。 思い出すだけで不思議と心が満たされていく。 このぬくもりを、離したくない。 それだけが、自分の願い。 この星空に願って叶うものなら… 友雅はあかねが触れた小指にそっと唇を落とした。 「乞巧奠(きこうでん)?」 慣れない袿姿で小首を傾げるあかねを友雅は目を細めて優しく見つめる。 「そう。もとは唐の国の伝説でね。牽牛と織女。天の川に引き裂かれた恋人達の話さ。幸福に浸るあまり与えられた仕事を忘れた二人は天帝の怒りを買い、天の川の端と端に引き裂かれた。嘆き悲しむ二人に天帝は勤勉に仕事をこなすことを条件に一年に一度だけ天の川での逢瀬を許す…」 「それって…七夕ですね。」 「七夕?神子殿の世界ではそう呼ばれているのかな?」 あかねはこくりと頷いた。 「笹の葉に願い事を書いた短冊を飾るんですよ」 「へえ?」 「…ここではやらないんですか?」 「そうだね。五色の糸や布を供えたりはするが…あとは楽器かな。」 「楽器?」 「琵琶や箏の琴…もともとは裁縫の上達を願うものだったのだが…いつの間にか芸事の上達も共に願うようになってね。内裏では宴も開かれる」 「じゃあ友雅さんも何か弾くんですか?!」 目を輝かせて訊ねるあかねの無邪気な様子に友雅はくすりと笑う。 あかねは友雅の琵琶の音色を気に入ったようで、友雅はあかねにせがまれては何度も琵琶を聞かせていた。 今まで誰にその才を褒められても手慰み以上の意味を見いだせなかった友雅だが、あかねの可愛いお強請りはどんな賞賛の言葉よりも友雅を満たした。 「ふふ…確かに私も一曲所望されてはいるが…主役は後宮の女御方だよ。それぞれが琵琶や琴を披露される。」 「女御方、ですか…」 美しい女達に友雅が囲まれている姿を想像してあかねの声が少し沈む。 その様子に友雅はおや、と眉を上げた。 「…妬いてくださったのかな?」 「…!違いますっ!!」 むきになって否定するあかねに友雅は笑って言った。 「ふふ…心配はいらないよ。私は君以外は見えないからね…」 そう言って覗き込んでくる友雅にあかねは真っ赤になって顔を背けた。 「どうしたの?」 友雅はからかうような笑みを浮かべながらあかねの頬にそっと手を添えると自分の方を向かせた。 「と、友雅さんっ」 端正な顔が思った以上に近くにあってあかねは慌てて友雅から離れようともがいたがそれを友雅が許すはずもない。 あかねは友雅に抱きしめられてますます身動きがとれなくなる。 ふわりと香った侍従の香に自分が友雅に抱きしめられていることが意識されて、あかねはますます慌てた。 「友雅さんっ」 「何かな?」 「もう離してくださいっ」 「そう?まだ私の気持ちを分かって頂くには足りないのではない?」 ふう、と首筋に息がかかる。 「ひゃあ!と、友雅さんっ。もうよく分かりましたからっ」 「そう?」 涙目で訴えるあかねに友雅はくすくす笑いながらようやくあかねを離した。 あかねは飛び退くように友雅から離れると火照った頬を冷やそうと手でパタパタと扇いだ。 友雅はその仕草を目を細めて愛しそうに見つめていたが、ふと真顔に戻って言った。 「神子殿。」 「はい?」 友雅のいつになく真剣な声音にあかねは思わず扇いでいた手を止めた。 「私と、星見に行かないかい?」 「星見…ですか?」 友雅がふとした拍子に見せる、何か熱いものを秘めた瞳。 それにあかねは戸惑いがちに答えた。 「お嫌かな?星が綺麗に見える場所を知っているのだよ。あそこからなら天の川もよく見える。」 しかしそれは一瞬のことで次に口を開いた時にはもういつもの友雅だった。 気のせいだったろうかと、あかねは何か腑に落ちないものを感じながら小首を傾げる。 「神子殿?」 「え?あ…」 「それでご不満なら琵琶も弾いてあげよう」 琵琶、という言葉にあかねはぴくりと反応する。 「本当に?」 覗きこむように問いかけると心外だと言わんばかりに肩をすくめる友雅と目が合った。 「私が嘘をついたことがあったかい?」 そう言って笑う友雅にあかねも笑って答えた。 「約束ですよ?」 友雅の小指にあかねの小さな小指が絡められる。 自分を繋ぎ止める、この甘美な呪縛。 この呪縛が永遠に続けばいいと思う自分に苦笑しながら…友雅はあかねの言葉に頷くのだった。 ようやく暑い日差しが翳った夏の夕暮れ。 蜩(ひぐらし)が鳴き始めた空が徐々に茜色に染まってゆく。 その空を左大臣邸の高欄にもたれかかって見つめながらあかねは友雅を待っていた。 その手には一葉の文が握られている。 侍従の香を燻らせた銀の薄様。 そこには流麗な文字で今日の夕刻に迎えに行く旨が書かれていた。 もう何度、くり返し読んだだろう。 この文を見ているとくすぐったいような幸せな気持ちになる。 あかねは握り締めたその文にそっと唇を寄せた。 「…神子殿。」 待ち人の声にあかねは嬉しそうに振り向く。 「友雅さん!」 側によるとふわりと侍従の香がした。 それになぜか酷く安心してあかねは友雅の胸に顔を埋める。 その甘えるような仕草に友雅はくすりと笑ってあかねの髪を優しく撫でた。 「待たせてしまったかな?」 「ううん。なんだかじっとしてられなくて。」 頬を染めながら友雅を待ち焦がれていたのだと語る瞳に友雅も微笑んだ。 「ふふ。私をそんなに待っていてくださったとは嬉しいね。…では、行こうか。」 「はいっ」 差し出された優雅な手をあかねはしっかりと握った。 「晴れてよかったですね。」 「そうだね」 夜空を見上げて無邪気に笑うあかねに友雅も笑顔で応える。 「…これなら天の川に引き裂かれた二人も逢えますよね…」 独り言のように呟かれた言葉に友雅は答えなかった。 それを不思議思ったあかねが小首を傾げて尋ねる。 「友雅さん?」 その呼びかけには応えずに友雅はただあかねに微笑み返した。 「神子殿。手を出してごらん。」 「…?」 あかねは不思議に思いながらも差し出された手に素直に己の手を重ねた。 小さな手に、ひとつの指輪がはめられる。 「え…?」 「…神子殿の世界では婚約の証に指輪を贈るのだそうだね。」 「どうしてそれを…?」 「ふふ…詩紋がね、教えてくれたのだよ。…神子殿は御存知かな?牽牛と織女が出逢うこの夜は心優しい鵲が天の川に羽を広げて二人の逢瀬を助けるといわれている。」 そこで言葉を区切ると友雅は夜空からあかねへと視線を移して言った。 「この指輪に刻まれているのがその鵲だよ」 友雅の視線を追っていたあかねは促されるように指輪に目を落とした。 繊細な装飾を施された指輪の中央に羽を広げた鵲を象った翡翠が埋め込まれている。 友雅はあかねの手を取るとその指輪に恭しく口づけた。 「この鵲に誓おう。例え天帝に引き裂かれようと、どれほどの咎を受けようといつか朽ち果てるまで共にいることを…。君がいなければ私は生きられない。…私の妻になってくれるね?あかね…」 あかねの瞳から零れ落ちた滴。 その雫が指輪を濡らしてゆく。 「友雅さん…ありが、とう…」 あかねの瞳から次々に零れ落ちる涙を唇で拭うと友雅はそっとあかねに口づけた。 夜空には一際輝く二つの星。 満天の星空の下、ようやく出会えた天上の恋人達のように、時を越えて出逢った二人はいつまでも寄り添っていた。 |
2003©水野十子/白泉社/KOEI/ 響咲夜
コメント 七夕に合わせ、フリーになっていた作品を頂戴してまいりました。 詩紋くんに聴いて、粋な贈り物をする友雅さんvvv素敵ですね〜。 天真くんではなく、詩紋くんに聞いている辺りが、深読みして尚面白さが込み上げてきます。 シリアスな展開なのに…阿呆な私…。 それはさておき、素敵なプロポーズを受けたあかねちゃん、羨ましいですね。 女冥利に尽きます。 |
背景:咲維亜作