春光






「わぁ…いい天気…!」

 カーテンを開けた途端目に飛び込んできた日差しにあかねは一瞬眩しそうに目を細めて言った。
 長い冬に包まれたこの地にもようやく遅い春が訪れようとしていた。

 ついこの間までいっそ痛々しいほどだった木々はこのところの温かさで静かに新芽を膨らませている。
 それがうれしくてあかねは一人そっと庭へ出た。


 
「…あかね?」
 友雅が目を覚ますと隣に眠っていたはずの少女の姿がなかった。
「…やれやれ。どこにいかれたのかな?我が姫は。」
 髪をかきあげながらそう呟いて友雅はベッドを抜け出した。

 かつては内裏を預かる左近衛府少将たる自分が彼女が抜け出す気配に気づかないほど深い眠りについていたのかと思うと友雅の顔に苦笑が浮かぶ。


 二階からリビングに下りていくと窓の外で光と戯れる少女の姿があった。
 それはどこか侵しがたい光景で…友雅は動くこともできずにあかねを見つめた。

 …どれくらいそうしていたのか。
 友雅に気づいたあかねがうれしそうに笑って声をかけた。
「…友雅さんっ!」
 その声に友雅は我に返る。
 
「ひょっとして、起こしちゃいましたか?」
 駆け寄ってきたあかねは小首を傾げて問いかける。

 友雅は夕べ遅くまで原稿を仕上げていた。
 あかねも友雅の為に夜食を作ったり、あれこれ世話を焼きながら友雅が眠るまで起きているつもりだったのだが、ついソファーでうたた寝をしたのが悪かった。
 様子を見に下りてきた友雅に見つかって、風邪をひく前にベッドで寝るようにと諭されてしまった。
 それがなんとなく悔しくてもう眠くないと頬を膨らませると友雅は艶っぽい微笑を浮かべた。

「…そう?まだ眠たそうにしているけれど。…それとも、眠らせて欲しいのかな?」

 そのまま有無を言わさずにベッドに運ばれたあかねは友雅の腕の中で眠りについた。
 朝起きたとき隣に友雅はいたけれど夕べのまま眠りについたわけではなさそうだった。
 だからあかねは友雅を起こさないようにそっと抜け出してきたのだが…

「いや…」
 友雅は一言そう言うと突然あかねの体を抱きしめた。
「とっ、友雅さんっ?!」
「…あかね…」
 突然の抱擁に驚いて逃れようと身じろぎしていたあかねはそっと名を呼んだその声が掠れているのに驚いて動きを止めた。
「…どうしたんですか…?」
「…私に黙ってどこにも行かないでおくれ…」
「どこにもって…庭に出ただけですよ?」
「それでも、君がこの腕から消えてしまいそうで不安なのだよ…」
「…友雅さん…」
 光と戯れる彼女はどこまでも純粋で美しく…遠く感じた。
 只人たるこの自分には触れることも叶わぬ存在…
 
 そう感じた時の絶望にも似た喪失感…
 この少女にこんなにも執着している自分に我ながら苦笑するしかない。

「…こんな弱い男であきれたかい?」
「そんなっ…」
 自嘲ぎみに笑う友雅にあかねはふるふると首をふる。
 そして恥らうように俯くと小さく言った。
「…うれしい、です」
 それに友雅は軽く目を瞠るとふっと笑った。
「まったく、君は…」
 愛しさを伝えるようにそっと抱き寄せるとあかねはその胸に甘えるように顔を埋めた。 


 しばらく互いのぬくもりを分けあった後あかねはふと友雅を見上げて言った。
「…ね、友雅さん、もうすぐですね。」
「…うん?」
「もうすぐここで迎える初めての春ですね。」
「…あぁ、そうだね…」

 あかねと出会って四度目の春…

 そしてこの緑に囲まれた軽井沢で迎える初めての春…
 ふと目を向けた庭先に紫の小さな蝶が舞い降りる。

「あ!蝶々!」
 あかねはそう言うとその蝶を追って友雅の腕から抜け出した。
 それに友雅はやれやれと溜息をつく。

 …出会って四年。
 姿は美しくなっても彼女の無邪気なところはあの頃と少しも変わらない。
 そしておそらくこれからもずっと変わることはないだろう…
 そう思ってその背を見つめているとふとあかねが何かに気づいたように立ち止まる。

「友雅さんっ、来てっ!」
 まるで蝶のようにふわりと寄って友雅の腕をひいたあかねはひだまりに咲く小さな花のもとへ友雅を連れていくとうれしそうに微笑む。
「…今年最初の花ですね。」
 あかねはその花を愛しそうに見つめた。

「…本当に、君は…」
「…え?」
「いや…」

 どんな小さなことでも幸せに変えていく少女。
 彼女といるとどんな小さなことにも幸福は潜んでいるのだと気づかされる。

「…ドライブにでも行こうか。」
「…本当?!お仕事はいいの?」
 友雅の提案にあかねはうれしそうに声を上げる。
「もう終わったよ。君のおかげでね。」
 友雅はそっとあかねを抱き寄せてその頬に口づける。
 それにあかねはくすぐったそうに肩をすくめた。
「…その前に朝食だね。夕べのお礼に私が作るよ。」
 そっと背を押す友雅にうながされてあかねは明るい日差しの差し込む中リビングへと歩き始めた。
 


 やわらかく降りそそぐ春の日差し。
 この世界に無常のものはなく…何事にも終焉は訪れる。
 それでも。
 永遠にも似たまどろみは…確かにこの腕の中にあった。


fin


2003©水野十子/白泉社/KOEI/ 響咲夜






フリー配布されていた作品を頂戴してまいりました。

友雅さんも思わず深く眠りこける、のどかな春具合。
それは季節的なことに留まらず、二人の温かな時間。
心地良い空間作りもさることながら、新緑がとても似合うと感じられる二人までもが素敵です♪



  







背景:咲維亜作