元 旦


************橘友雅 編************

「あはは、それはお大事に」
『もう少し親身になって考えなさいよ! あんたは』
ぎゃんぎゃんと電話口の向こう側で甲高い声が響き渡り、受話器に耳を押し当てていた男はその前にそれから耳を遠ざけていた。
『聞いてるの?! 友雅!』
「ああ、聞いてるよ」
男…友雅は、笑いをこらえながら、そう平然と言ってのける。
それを聞きとがめて、電話口の向こうの声に険が入った。
『私が入院したら、あんたのせいだからね』
「入院するほど悪いようだったら、電話してくる筈はないだろう?」
と、向こうでばたばたと電話の取り合いをする音が聞こえ。
『これ以上、誠馬を怒らせたら、私が邪魔しに行くぞ』
ドスのきいた声が発せられた。
先ほどの声の主…誠馬ではない。
その声を聞いて、ますます笑みを深くする友雅。
「神に喧嘩を売るほど私は豪気ではないよ」
『…………嫌な人間だ』
「それはお互い様」
ではね、とそこで電話を切る。
「友雅さん。誠馬さん、大丈夫なんですか?」
ソファーに座っていた着物姿の少女…あかねが心配そうに尋ねてきた。
携帯をテーブルに置き、隣に腰掛ける友雅はにっこりと笑ってみせた。
「あれは金槌で頭を叩かれても感じないくらいの男だからね。体調不良などこたえないだろう」
「またそんなこと言って。しかも螢火さんまで怒らせたんじゃないですか?」
ここで少し説明を付け加えることにしよう。
先ほどまで電話口の向こうで友雅と対等に喋っていたのは、神戸在住で同業者である沖継誠馬だ。
彼は戸籍上では男なのだが、女性と見ても遜色はないほど女っぽい。
それは双子の姉の影響であろう。
しかしそれをコンプレックスに思うことなく、普通に生活している。
そして、その彼から電話を横取りしたのは螢火(けいか)である。
螢火は沖継の家の氏神であり、先ごろまでとある場所に封じられていた。
その話はおいおいしていくことにしよう。
「怒らせたとは大袈裟な。あかねは私を信じないのかい?」
「神様を怒らせたら祟りがあるって昔から言うじゃないですか」
「祟り……。そういえば祟られそうな男が一人いたねえ」
「友雅さん! 話をそらせないでください」
頬を膨らませ、憤然と抗議する。
それを軽やかに笑うことで一蹴し、友雅は出かけようかと声をかけた。
まだ初日の出も上がらない元旦の朝。

「で? 今年はどこに連れて行ってくれるんですか?」
大阪行きの正月臨時列車に揺られながら、隣の友雅に尋ねるが、
「着いてからのお楽しみ」
そう言うばかりだ。
下りの新快速に揺られること四十分。
着いた場所は三宮駅。
そして………
「君の機嫌を損ねるほど私は強くないよ。だからね」
「じゃあ帰りに寄ってもいいんですね」
意味を理解し、ぱああっと笑みが表情を変えてゆく。
「年末年始だから、きっと実家に帰っているだろうからね」

************翡翠 編************

「どうしたんだい? 姫君」
翡翠は隣に座る花梨が、俯いているのに気付いて声をかけた。
彼女がふさぎこんでいる原因は昨日…大晦日の日にあった。
その日、市内にある総合病院に知人の見舞いに行った。
知り合ったのはほんの一年くらいなのだが、それでもよくしてくれていた人だった。
その知人が数日前、突然倒れて救急車で総合病院に搬送されたのだ。
原因はわからない。
ただ、頻繁に頭痛に悩まされていたことから、脳の障害だろうと思われた。
「あなたたちにまで迷惑をかけていたのですね。申し訳ありません」
起き上がることもままならぬ体で、首を巡らせて二人を見つめる男。
男の名は橘芳雅。
写真家の中では神的な存在であり、昨年、彼の依頼を受けて翡翠はともに愛媛まで取材に行っている。
「迷惑だなんて思ってなんかいませんよ。それよりもお体のほう、大丈夫なんですか?」
「ええ。まだ起き上がることはできませんが、回復に向かっていると医者も言ってますからね」
「精密検査でも異常はなかったといいますから、働きすぎということも」
と、辛口な意見を述べるのは、彼の妻である。
「根をつめていたことは謝るよ。けれどね……」
「言い訳は聞きません。おとなしく寝てください」
どの時代、どの家庭でも、男の操縦は女がしている。
「じゃあ私たちはこれで」
挨拶をし、病室から出ようとする二人を、芳雅は声をかけて引き止めた。
「元旦に生田神社へと行ってごらんなさい。面白いものが見れる筈だから」

翡翠さん。
来年の大河ドラマって義経なんですよね。
その舞台のひとつにこの神戸も入っているってこと、覚えてますよね?
今からわくわくしちゃいます。
また史跡めぐり、一緒に行きましょうね。

とかなんとか話しながら大晦日の夜は更けてゆくのであった。



********** 邂 逅 **************

午前七時。
三宮………。

「やはり人出が多いねえ」
ぽつりとぼやきながらも花梨の手を離さない翡翠。
「先に生田神社に初詣しに行こうか」
「そうですね。人の流れがそっちに行ってますから」
人の波は確実に二人が行こうとしている生田神社のほうへと向かっている。
「そういえば生田は昔は森の中にあってね、生田の森と呼ばれていたそうなのだよ。
花梨は大河ドラマにも興味を持っているだろうから知っているとは思うけれど……」
「もちろんです。生田の森は今のフラワーロードを流れていた旧生田川まで広がってたんですよね。
本当、時代の流れを感じますね」


沖継誠馬の神戸豆知識

生田の森(生田神社境内)

今は生田神社の裏にわずかに森が残るだけだが、かつてはフラワーロードを流れていた旧生田川まで森が広がっていた。
「平家物語」によれば、平家は生田川に敵の侵入を防ぐための柵を設け、清盛の子・平知盛を大将に範頼を迎え撃った。
戦いでは源氏方の河原高直・盛直兄弟が先陣で討たれた後、梶原景季が奮戦。
景季が咲き誇る梅の枝を武具・箙に差して戦ったとか、戦死した平敦盛の子が敦盛の霊に会いに来るなど、
後世の謡曲や浄瑠璃に取り上げられ、生田神社境内に箙の梅の碑や子敦盛の碑などの史跡がある。


おそらくは翡翠がいたあの頃の生田も、その当時以上の森だったのであろう。
それが町が広がるとともに減少してゆき、今では境内の北にしか残っていない。
「あれ?」
境内に入った途端、花梨は違和感を覚えた。
と同時に周囲がシン、と静まり返り、今まで大勢の人がいたのが嘘のようにすべて消えていた。
「………結界だね」
ただ風が木々の間をすり抜ける音だけがさわさわと聞こえてくる。
「ひ、翡翠さん! 周りを見て!!」
驚きの声をあげる花梨の言葉に、翡翠はそちらのほうを見やる。
うっそうと生い茂る森。
ビルなどがあったはずだというのに。
「生田の………森」
誰がこの結界を張ったのだろう。
芳雅が言っていた面白いものというのはこのことか?
疑問が次々と脳裏を掠めていく。
そのとき、気配が動いた。
「ああ、また人違いか」
拝殿のほうから人が出てくる。
白い、足元にまで達した絹のような髪がふわりとたなびく。
現れたのは一見、神巫に似た男か女か不明な者。
目元に紅を引き、妙齢な姿を模した……。
「お前も……地の白虎、だな」
顎に手をやり、にやりと笑みを浮かべる。
「君は人間ではないね」
花梨を自分の背に隠し、構えを取る。
「怨霊かい?」
「生憎、私はそのような下等なものではないよ。地の白虎といっても、所詮はあれ以下ということか」
「怨霊ではないというのなら、いったい何者なのだね」
「私は仙狐・九重(くのえ)。生田川の戦よりこちら、この土地に棲み続ける者だ」
その者は己を仙狐と名乗った。
仙狐とは天狐が悟りを開いた狐であり、もちろん妖の仲間でもある。
「地の白虎である源氏の男をこの土地で何百年も待ち続けている」
「待ち続けているって………。その人はもう死んでいるんじゃ」
人間は数百年も生きられない。
それを今でも待ち続けているとは。
花梨は思わず身を乗り出して、声をかけていた。
「生田川の戦っていったらもう八百年も昔の話でしょう?」
「…………娘。何が言いたい」
軽く眉根を寄せ、花梨を見据える。
九重ももうわかっている筈だ。
自分が待っている男はもうこの世にはいないということを。
けれどもそれを認めたくはなかったのだろう。
「…………また来たか。この世界には何人、お前たちと同じ力を持つ者がいるのだろうな」
視線を二人の後方へとずらし、剣呑な眼差しで結界に入ってきた者たちを見つめた。
「花梨ちゃん!」
聞き覚えのある驚きの声に、花梨と翡翠は振り返る。
「なるほどね。先ほどの結界は地の白虎と神子しか入られないようになっていたのか」
不敵に笑みを浮かべてみせるのは友雅だった。
その隣にはあかねの姿。
そして……
「九重…………?」
見知らぬ男女がその隣にいた。
「九重じゃないか」
望美ちゃん、九重だよ!
満面の笑みで、隣の少女に呼びかける。
少女のほうも心底安心した風に男に頷いてみせる。
「友雅。そちらは?」
自分たちを見つめる友雅に、翡翠がよびかけた。
「ああ。この生田神社への道を聞かれてね、ともに来たのだよ」
それがまさか結界に入ることになるとは思わなかったらしい。
「九重、オレがわからない?」
九重へと向き直り、男は声をかける。
「一の谷の合戦の後、ここに来たかったけれどそれすらも叶わなかった」
長い年月を待たせてしまったみたいだね。
対する九重は、呆然と男を見つめていた。
「オレだよ。景時だよ、梶原景時」
「…………源氏の神子も…一緒か」
へたりと座り込む九重に、ようやく景時と望美と呼ばれた少女が歩み寄る。
その三人の姿を見つつ、側へとやってきた友雅に問いかける翡翠。
「いったいどういうことなのだね?」
「どうもこうも。あの三人は知己の間柄だったということだろう」
「しかし腑に落ちないねえ。ここはあの仙狐が言うには、地の白虎しか入れないと……」
「だからあの男も地の白虎だったということだよ」

結界内にある生田の森から見る初日の出はそれはもう格別だった。
異世界の風景そのままに、いつもの年に見る初日の出とはまったく違う。


神戸の町は、今年は賑やかになりそうだ。


************橘友雅 編  後話************

昼前に誠馬の見舞いをかねて実家へと伺ったときには、既に彼は青い顔をして寝込んでいた。
「年始早々から螢火を出すからだろう?」
「誰も出したくてやってるんじゃないやい」
恨めしそうに布団の中から友雅を睨みつけるように見つめつつ、そう言い放つ。
「出すたびに力を削られて、最終的に倒れるのはどうかと私は思うのだけれどね」
「…………それは私にもっと力をつけろ、と言いたいの?」
「ご名答」
そのとき、がちゃりとドアノブが回されドアが開いた。
「友雅さん。それくらいにしておかないと、また螢火さんに叱られますよ?」
「その辺は大丈夫。今朝、出てきた螢火を思う存分叱ってやったから。この分だと数日は出てこないと思うわ」
「相当、へこんでたからね、あいつ」
姉弟が苦笑をもらす。
「西神のケーキ屋でケーキを買ってきたけど、食べてね」


正月からバトルがこの家で繰り広げられたことは知られていない…ということだ。
新年早々、よくやる。






2005©水野十子/白泉社/KOEI/ 沖継誠馬






コメント  2005年年賀状を申し込んで…この創作を頂戴しました。
これで即興…即興なんですか!!?? ええっ!?( ゜_゜;)
それは恐れ入りました。
「遙か」シリーズ3つをまたいでのお話で、更に歴史ある土地に基づいたお話ですのに…。
さすが誠馬さん!!ですね。
昨年はお忙しそうで、作品を拝見する事は無いに等しかったのですが、サークル活動もされていたこともあるでしょうが、それでも限られた活動の中で筆を鈍らす事無く、またオリジナル要素も含む(と思われる)新たな世界設定によるお話を即興で作られるとは。
やはり文章創作者様なのだな…と、その構築振りにただただ感服仕りました、という感じで。
始終圧倒され通しでした。

地の利は相変わらず羨ましい限りです。



  





|||背景素材「しろくろねこの家」様|||