全てには必ず始まりがあり終わりがある。
 


この話はその始まりの物語……


 

 

 

風 の し ら べ





 

 

朝焼けが京の都を包み込んでゆく頃、双ヶ丘にひとつの影があった。
影……それは男のようだ。
ゆっくりと明るくなってゆく空を見上げ、眼を閉じる。
清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、吐き出す。
なにものにも汚されてはいない朝の空気。
それを吸い込むことで心の平静を保とうとしているのだ。
男の名は橘友雅。
先ごろ左近衛府少将として兵部少輔から位をひとつ上げた男である。
彼は橘一門の中で異例の出世を果たした。
それだけでも藤原一門の人間にとっては脅威であるのに、それに加えて今代の帝の信任が一番厚いわけだ。
友雅はゆるゆると肺に吸い込んだ空気を吐き出した。
「何も権力を握ろうというのではないのだがねえ」
権力というものに全く興味もないのに、何故にここまでされなければならないのか。
しかしながら我が一門の中には自分に期待を寄せている者もいるのも事実。
自分が今の地位にいるのは帝が請うたから。
ただそれだけの理由。
そう、ただそれだけだ。
「ここにいるとやはり落ち着くな……」
「都の中では落ち着く場所がないのか?」
不意に子供の少々高めの声が背後から聞こえた。
「このように都から離れなければ落ち着かないというのか?」
サク…サク…とゆっくりと歩み寄る気配がある。
だがこのようなところに、しかも朝早くに子供がこのような場所にいるとは腑に落ちない。
緊張した空気を感じ取ったのか、くすくすと苦笑を漏らす子供。
そしてこちらを振り向こうとしない友雅に再び声をかけてきた。
「左近衛府少将である橘友雅だな」
「そういう君は?」
やはり振り向かずに問い掛ける友雅。
「わしの名は珀―――」
「珀津緋靈命※(はくつひのおかみのみこと)……という冗談はよそでやってもらおうかな」
「何ゆえわしの名を知っておるのだ」
驚きに満ちた声が上がった。
知っているも何も、この名は女性の間では有名な名だ。
時を司る神として多くの信仰を集めている。
理由は簡単だ。
女は己の美貌をいつまでも保っていたいが為に。
思わず振り返る友雅。
その視線の先にはやはり子供がいた。
だが服装がなにやら見たこともないものだった。
「ようやっと振り向いたか」
大仰に溜息をつく子供は、茫然と自分を見つめる友雅を眉根を寄せて見やる。
「そんなにぬしの想像とかけ離れておったのだな」
「いや、子供の声だったから子供だろうと予想はしていたのだがね」
「ではなにか? 子供の神がいたことに茫然としておったのか?」
「ご名答」
にこりと微笑む友雅。
その微笑があまりに優雅かつ気を抜けさせるようなものであったため、少年は怒る気力も失せ、脱力した。
「まあよいわ。………ぬしは”龍神の神子”の存在を信じるか?」
唐突な質問だった。
龍神の神子というのは以前幾度かその名を耳にした事はある。
都が危機に瀕したときに現われる者。
そしてその神子を守るために選ばれる八葉という存在。
そのどれもが自分には縁のないものだと感じられる。
「耳にしたことは幾度かあるが、私にはきっと縁のないものだろうね」
「縁のない、と言うか」
再び遠くに見える都の姿を見つめる友雅の、その隣で同じように景色を眺める少年…珀が笑みを浮かべながら呟いた。
訝しげな瞳が珀に向けられる。
「そうだのう。”今は”縁のないものと言っておこうか」
「…………今、は?」
意味深な言葉に、眉根が寄せられた。
「未来のことにはあまり口出しはせぬ。だが、必ずぬしはそれに関わる事になるだろう」
「まるで未来を見てきたような口ぶりだな」
「わしは神だ。時空を自在に駆け、その瞬間その瞬間を見届けるのがわしの役目」
そう。
珀は時を司る神。
だからこそそのような何気ない言葉にも深い意味が隠されているのだ。
龍神の神子と八葉。
自分は彼らとどのような形で関わるというのだろうか。
しかしながら知っている本人が何も語らないのでわからない。
いや、わからない方がいい。
未来を知るということは世の理に反する行為なのだから。
「そろそろわしは行く」
踵を返し、丘の向こう側へと下ってゆく。
だが何か言い忘れたのか、立ち止まって振り返った。
「今のおぬしよりも未来のおぬしの方がいい顔をしておったぞ」
そしてひらりと身を翻すと、瞬き一つの間にその姿をかき消していた。
陰陽師など力のある人間がその場にいれば迸る神気に驚いたことだろう。
友雅はしばらく珀が消えた辺りを見つめていたが、ゆるゆると吐息をこぼし、空を仰ぎ見た。
これからなにやら楽しいことが起こりそうな予感がする。
「………龍神の神子…か」
ポツリと呟きを舞い上がる風に乗せて―――――

 

 




「友雅さん?」
怪訝な表情で顔を覗き込んできた少女に、友雅は我に返ってにっこりと微笑んでみせた。
「なんだい?」
「思い出し笑いは怖いですよ」
「神子殿は鋭いねえ」
くすくすと苦笑を漏らしながら、言葉を続ける。
「昔、ある人に言われたのだよ。今のお前よりも未来のお前の方がいい顔をしていたぞ、とね」
昔よりも今のほうがいい顔をしているのは事実だ。
それは隣に彼女……龍神の神子であるあかねがいるから。
「?」
意味がわからず小首を傾げるあかね。
「わからなければそれでいいのだよ」
極上の笑みで笑いかけた……


 

 




彼を見たのはあれが初めてだったのだろう。
それ以前の記憶は、ない。
だが、彼はずっと自分を見てきたようだ。



そう……あれがすべての始まり。





2004©水野十子/白泉社/KOEI/ 沖継誠馬






コメント  サイト二周年記念でフリーになっていた作品を頂戴して参りました。
珀は、誠馬さんによるオリジナルキャラで、サイト「京華乱舞」に於いても大活躍中なのです♪
神ゆえに横柄な態度のようですが、友雅さんをとても慕っているvvv、いえ、珀をも魅了させた友雅さんが凄いのでしょうか。
二人の立場での不思議な繋がりが、それぞれのキャラの魅力を見事に引き出しているので、好きなコンビ(と言うまとめ方をしたら怒られそうですが)です。
何時の間にか身近にいらっしゃり自己主張が何気に強い珀ですが、(友雅さんにとっての)出会いすらも、あっさりとしたものだったのですね。
二人の今後の繋がり方が示唆しているようで、何気に深い作品です♪
あかねちゃんと共にいる、今の友雅さんの「いい顔」を想像して、〃 ̄ー ̄〃 ニヤリッとしたのは、言うまでもありません。



  





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